国を知ることは簡単ではないことはわかっていた。ただオークランド市内を歩いててもマオリと白人の目つきの違いや話す言葉が微妙に違うことは、よそものの私だって肌で感じていたこと。
白人の友達(キウイ)は出来たけど、結局最後まで、マオリの友人はできなかった。
せっかく縁あって暮らした地なのだからしっかり学んでおきたかったし、体感したことを言葉にしておきたい。いつか誰かが行くときに、役にたてるのなら、それは私にとってニュージーランドへの恩返しにつながるかもしれないと、そういった期待も込めて、記憶を辿りながら、見聞きし感じたことを記しておこう。
Day 12007/09/21
オークランド博物館。って、日本語ではこう訳されていることが多いのだけれど、実際の英語表記は"war memorial"が入る。
マオリや南太平洋諸島の歴史コレクション、ニュージーランドの自然に関する展示は世界一で、世界大戦に関するギャラリー、一番上の階にはゼロ戦もあるのだとか(私はそこまでみきれなかったけれど)
歴史的建造物としても有名な博物館。オークランド・ドメイン(オークランドを見下ろせる、小高い丘)中にある。ちょっとギリシャの神殿のようなつくり。
マオリのショーは、毎日3回行われていて、ホール全体にそれはそれはとても大きな力のある声が響く。
マオリの”ハカ”は、ALLblacksが試合前に行うので世界的に有名になった踊り。本来はマオリ族の戦士が戦いの前に、手を叩き足を踏み鳴らし自らの力を誇示し、相手を威嚇する舞なんだそうで、実は、これは二部構成。
一部は、女性による優しい歌声を聞かせるパートがあり、そのあとすぐに、二部の男性の荒々しい舞にかわる。
ここではそれが両方とも短い時間で見学できた。いつまでもみていてられるほど、引き込まれる・・・。
ショーのあとの記念撮影。
でも、にこりとも笑わない。
いつだって感じるのは、こういった仕事についている人達は、何を目的として何を楽しみにして、おこなっているんだろう。金銭なのか、精神的なものなのか、胸がなんだかちくちくする瞬間でもある。
でも少なくとも、私はこの土地について理解ができたし、美しい歌声をきき、ニュージーランドの歴史に思いを馳せる事ができて、得るものの多い時間だったと思っている。
この表情は笑っているのではなくて、威嚇のポーズ。
後からきいた話で、ハカは本物のマオリ文化を伝える観光としてだけでなく、現代芸術としてその腕を競い合っていて、小さい年齢こどもの大会から年配者の大会まで、あらゆるレベルの様々な大会が各地で実施されているんだとかで、
それはなんだかいいねと、嬉しくなった。
昔のキッチュなお菓子や子供のオモチャを展示してあるコーナーを発見。駄菓子屋のような雰囲気に思わずテンションがあがる!
もうなんだかシュールすぎるこの感じがとってもツボ。ミントガムのCMに使用されたとか。
これは撮るしかないでしょう。
Day 22007/09/22
オークランド・ドメイン内の植物園に。
ニュージーランドのシンボルマークである葉裏が白いシダを始め、ニュージーランドの森林をそのまま都会の真ん中に再現したようなエリアもあり、ここどこだっけ?!と錯覚が起きる。
この植物園には100種類以上ものシダが!(そんなに種類あることにびっくり) 温室内には他にも南国植物が常時咲き誇っているらしくて、とても華やか。
倒木もそのまま?
アヒルがぺたぺた。
思わず乗ってみる。
オークランド中心部からバスで約10分。オークランド随一の高級住宅が建ち並ぶ場所。沖にはランギトト島の姿がみえ、夏になるとヨット、ウインドサーフィンなどマリンスポーツのメッカ。う〜ん、いい雰囲気!(今の季節は冬)
Movenpickは本当に美味しいアイス。特にミルク味は絶品で、ニュージーランドで採れる新鮮なミルクから作っているとかで、みんなの大好物だとか。大人気のアイスクリーム屋さんで、この日も行列ができるくらい。真夏はもっとすごい人たちなんだろうな・・。
Movenpickは確かスイスの会社だったはず。
ヘルシンキ空港にもあって、もちろん即食。
食べながら、スカイタワーを眺める。一緒にいた友人はもう1年以上留学していて、日本に帰りたくないと話していた。
留学して思うのは、確かに目の前のことが現実なんだけれど、どこかリアルじゃないということ。
だから私は、延長する事もできた留学を、当初の予定通り半年で区切って帰ってきた。
Day 52007/09/25
Advanceクラスの先生の家に呼ばれ、ラム肉を食す。ラム肉は生後4ヶ月から1年未満の子羊の肉のこと。元々ラム肉のあのにおいが苦手だったけれど、ジューシーで柔らかくて、においがない!たっぷりいただきました。
先生の話が止まらない。
ニュージーランドの料理は、フュージョン料理ともいわれるらしい。
狩りを主とするマオリの食文化から、ヨーロッパからの移民が持ち込んだ小麦など。さらに大きく変化したのは、1980年代の移民規制緩和。アジア系移住者の増加するにつれ、各地方の料理を出すレストランが次々とでき、ニュージーランドの食文化の幅が広がったという意味らしい。
確かにオークランドでは韓国料理屋さんが多かったし、留学生も圧倒的に韓国・中国・台湾人が多い。
私が先住民の地をひく現代のマオリから受け取ったのは、文化をつないでいく一方で、いつのまにやら入ってきた欧米・アジア人種がどこかうらめしくて、なんだかナナメにみている。けど、共存していかなきゃ生きられない。だから、ポケットに手を突っ込んで歩くさ。
なぁんて感じにみえた。
本当に、声をかけてもなかなか打ち解けられなかったのは、私の歴史背景の理解不足だったのだと痛感した。
単一民族国家の日本との大きな違いをひたすらに実感して、ニュージーランドを後にした。
Travel Tracking
Comment