「最後の審判の日に、天国に行くアマルフィ人にとっては、ただ普通の一日だろう。」(とフチーニさんがそう仰いました。)
アマルフィは南イタリアのサレルノ市の近くにある小さな町です。
現在は有名な観光地なんですが、元々は港町として生きて行った場所です。
確かに、海での貿易が得意なことのためますます強くなって、
中世時代に国みたいな「海洋共和国」という状態になりました。
正直に、私はアマルフィによく行ってきますが、
今回はこの町のビックリさせたあまり誰も気にしないものについて
お話したいと思います。
Day 12013/08/26
ここは多分もう知っているかもしれません。
アマルフィの主な広場のアンドレア聖人広場ですよ~
名前はアマルフィの守護聖人のアンドレアから来ます。もちろん、大聖堂もアンドレア聖人にささげられています!
右には、聖人の像は泉の部分として彫刻されました。
大聖堂の中には博物館がありますので、それはお勧めです。
もう観たことあるでしょう?この教会が織田裕二さんが演じた映画に出ていますから。
アマルフィには主な教会が2つあります。
一つは、先の大聖堂ですが、もう一つはBiagio(ビアジョ)聖人の教会です(1082年の建設)。
この教会はどこだかと聞いてみれば、アマルフィの一番高い場所にあると地元の人に言われました。
山の階段を上るのが大変でしたが、やっとあそこに着けました。
下町はかなりにぎやかなでしたが、上はあり得ないほど静かで
天国のもっと近い雰囲気だと私も感じられました。
いきなり、告白だ!こんなところだとあの二人の優しい恋から感動されます。
教会に入りたかったら、鉄柵があるとビックリしました。
地元の人に、あれは独特の建物なので、一年間に一回ぐらいしか開かないと聞きました:
ビアジョ聖人の日以外(2月3日)利用されていませんが、
あそこで結婚する希望のあるカップルが
予約しなければなさそうです。
教会はもっと高いとこにあるから景色がどこもと負けないと言われたのです。
たしかに、鉄柵から見てみると、狭くて長そうな階段が見えます。
閉まっている入り口から
ただ一つのフレスコがよく見えます。
キリスト的な象徴たっぷりの絵ですね。
下には誰かの紋章が彫刻されています。
昔はアマルフィがキリスト教の修道院でも有名でした。
前言ったルーナの修道女が住んでいたとこのほかに、
男性のカプチンの修道院もありましたからです。
ビアジョ聖人の教会がある山から、その修道院はまるですぐに行けるように近いです。
今、両方の修道院がホテルになっています。カプチンの修道院はConvento(コンヴェント)ホテルが名前です。
さすがに、「コンヴェント」というのは「修道院」という意味ですよ!
アンドレア聖人の広場の近くに綺麗な家があります。
門が開いていたから入ってみました。
建築も素晴らしくて昔からの感じだったから
どんどん写真を撮って、このコラージュになります。
あそこに住んでいる人の話によると、
実はあの建物はマンションですが、
やっぱり近代のものではないに違いないそうだ。
大聖堂の広場から長い通りが始まります。
通りが元々川でしたが、乾燥して道になったみたいです。
商店街ですのでどこに向いてもお土産やさんでいっぱいですよ~
トンネルの出口に小さい広場があります。
あそこに泉の中の小さくて可愛いプレゼピオが置かれています(写真に写っていません)。
プレゼピオというのは、クリスマスの人形の飾り物です。
基本はキリストの赤ちゃん、マリア様、ヨセフ聖人、ロバと牛です。
それを小さな洞窟みたいな開いているとこに置きますが、
プレゼピオがそれだけではありません。
その周りに、村も作って置きますよ!
もうちょっと歩くと、もっと大きいプレゼピオが見られます。写真はこちらです。
これはアマルフィ海岸風のプレゼピオの作り方です。
ナポリ風のと違うのが、基本的に建物の姿だといえよう。
ここのプレゼピオの建物がリアルに造られていないどころか、
もっとカラフルでディズニーのアニメと似ていると思います。
もう少しすすむと、Valle Dei Mulini(ヴァッレ・デイ・ムリーニ)という地区になります。あそこには紙の博物館があるりますよ!
アマルフィの人が中国から紙を作る機械を持ってきたので、
始めてで紙が作っていたヨーロッパの町です。
でも、わたしが気に入ったのが、標識です。
この標識が障害者用の駐車場があると示します。
ですが、その下に、面白い言葉が掛けてあります:
「私の席が欲しいですか。それじゃ、私のハンディキャップもとってください!」
と書いてあります。
誰でもそんな標識を発明した方が、賢明だと信じています。
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