父親が幼少期を過ごしたという旧満州エリアへ行ってきました。まずはトランジットでソウルで一泊。そのあとハルピンから中国へ入り、旧満鉄の路線に乗って南進。日露戦争の激戦地『旅順』や番外編として勝手にレッドトライアングルと名付けた『中朝露国境』、そして最後は大連からフェリーで烟台へ渡り友達の待つ青島へ。
1日目2008/03/19
2日目2008/03/20
さて、ハルビンでの宿は站の前にいた客引きについていって決めました。3泊100元。お湯が出るって言ったのに出ないので、洗面器一杯のお湯を朝夕と持ってきてもらいました。
宿の入り口の階段まわり。裸電球とよくわからん貼り紙がいい味出してる。
3日目2008/03/21
七三一部隊の跡地。バスで市街から小一時間。
地下道の出入り口には冷気が入らないようにこんな分厚いカーテンのようなものがついています。
ハルピンのデパート?秋林公司。建物立派。目的はデパ地下での買い物ー。
ハルビンの繁華街?「東方のパリ」と言われる「中央大街」。
1キロ以上続くこの石畳の通しの両脇には歴史的な洋風建築が多数。ライトアップもキレイ!
哈尔滨啤酒!中国最古のビール会社なんだそーな。
4日目2008/03/22
秋山公司の地下で買ってきた名物?らしいロシアパン「大列包」超絶大きくて、その後食べ切るまでかなりに日数を要した。ちなみに、特に味はなく饅頭(中華まんの具なしのやつ)よろしく辛いのとか付けて食べた。
瓜子(ヒマワリの種)。初めて中国行って以来食べると止まらなくなる魅惑のおやつ。哈尔滨站近くで購入。瓜子自体は一袋2元だったのだけど、おばちゃんに撮影料3元をせがまれるw
撮影料のほうが高いってのが何ともw
「韮菜合子」というニラ玉が入ったお焼き的な小吃。これで1個5角!安っ!2個ゲット。
動画アップしてた↓
http://youtu.be/AsNSEAoFw2U
寒冷地ならではの輪タク!この手作り感たまらんっ!
タクシーと変わらない価格で交渉成立したのでライドオンっ!!
夜ご飯に入ったロシア料理のレストラン。
頼んだのは、右手前から時計回りに
・俄式沙拉(ロシアンサラダ)
・黑椒牛排(ステーキ)
・白菜卷(ロールキャベツ)
かなり豪勢。
観光地中央大街のど真ん中にあったからかかなりお値段は高かったような感覚。
ライトアップされたソフィスカヤ寺院(聖ソフィア大聖堂)。
ロシア統治時代を今に色濃く残す代表的建築物。
この大っきな玉ねぎドーム、いい!
5日目2008/03/23
さあ、中朝路国境へ!
まずは牡丹江へ。
こっからバスを乗り換えて国境への最寄りの街「珲春」を目指すも、直行便は見当たらず...
バスの客引きに尋ねると「珲春」とは行き先に書いてないのに大丈夫だ乗ってけと言う。
だいぶ手前の「图们」行きだったのでおそらくそこで乗り換えかと思ったらそうでもないらしい。
で、思い切って乗り込んでみる。
すると、
バスに乗ってる途中で、もぎりのおばちゃんに呼ばれ降ろされる。「???」
↓
そこに停まっていたタクシーに乗るように促され乗車。
おばちゃんが「これで图们まで行きなさい!」的なことを言ってきた(と、思う)
複数人で乗り込み発進。
↓
すっかり真っ暗になりハイビームでタクシーは進む。
どうやら图们到着。
で、降ろされる...
持ってたバスの切符は图们までなのでついたのであれば当然なんだけど、
こんな右も左もわからない異国の地で、
しかも真っ暗...どーすんの???
↓
前に停まっているタクシーに乗り換えて「珲春
」へ行ってもらえると言われる(たぶん)。
↓
無事、「珲春」到着。
乗り換えるたびに、もぎりのおばちゃんやらタクシーの運転手が「この子、日本人らしいんだけど珲春に行きたいらしいのでよろしくね!」と伝えてくれたらしく、
車内でもみんなやさしく、こんなハチャメチャな乗り換えなのに無事目的地まで届けてくれるなんて...
哈尔滨-牡丹江 86元。
牡丹江-图们 55元。
图们-珲春 20元。
朝10時に哈尔滨を出発し、
珲春に到着したのは21時前。
かれこれ約半日にも及ぶ大移動でした。
疲れたー!
6日目2008/03/24
遂にやってきました!
中朝露3国にまたがる国境地帯!
買ってに命名「レッドトライアングル」!
珲春からバスとかの公共機関は通ってなかったのでタクシー捕まえてかれこれ小一時間。
写真は中国側にある展望台から撮影。
川にかかる橋がちょうど三国の国境にあたるらしく
左がロシア、わずかにその陸地の河沿いに食い込もうと中国(ほぼないけど)、そして、橋を渡った先が北朝鮮。
中国側のここの地名が「防川」ていうのも、なんだか中国側の日本海に出たい執念というかなんかそんな気迫のようなものを感じた。陸地に国境線を持たない島国の人間には到底理解できないものなのかもしれない。
ちなみに、写真に地平線のようにうっすら伸びてる線が
肉眼で見た時の印象からすると日本海。
そう、海はもうすぐそこまでのところだったのです。
さらに補足として。
ロシア側は車も往来してたんだけど、北朝鮮側では民家も目にすることが出来ずついに人の気配を感じられることがありませんでした。残念。
入園料:20元
このゲートの向こうは北朝鮮。
タクシーの運ちゃんに撮影はやめた方がいいよと諭されるもこっそり。ちなみに、ゲートまで近づいて番してる人に撮影してもいいかと聞いたら思いっきり「不能」と言われた。
7日目2008/03/25
珲春から一路、満州国の首都「新京」だった長春へ。
いつも思うけど、駅舎がでかい。
8日目2008/03/26
満州国皇宮。(今は博物院)
現地ではやっぱり歴史観からなんだろうけど満州の前に【偽】と付けている。
いやしかし、時の権力と冨の象徴となる場所と言うのは本当に今でもほれぼれする調度品やら設えで見て絶対に損はない場所だと思います。
ちなみに、中国語で喋ってる人たちもちらほらいたので
なにも日本人だけが来るわけではなさそうです。
入場料:80元。
皇宮博物院その2。
こんな階段映画の世界のよう。
皇宮博物院その3。
ここが玉座。
ここに溥儀がいたのかと思うと
詳しくもないけどなんか昂ります。
皇宮博物院その4。
ここは食事するところ?
はたまた会議をするところかな。
まだまだ見所はたっくさん。
80元でも納得の内容です。
さて、博物院を出て長春の市街に点在する当時の建築物を求めて散策。
当時の建物が今も文革によって破壊されることなく使用されていると言うのがグッときます。
なんていうかあまりにも立派なものだったから
有効活用したのかな。
とにかく、往時を知ることが出来る貴重な建築物たち。
その偉容は素晴らしいものばかりでした。
ここは満州国司法部旧跡。
今は吉林大学の一部として使われてるそうです。
ここは交通部旧跡。
ここも今は吉林大学の一部のよう。
総合法衛旧跡。
今は病院になっているようです。
軍事部旧跡。
今は吉林大学の病院みたいですね。
お城みたいなこの威風堂々とした建物が、
関東軍司令部旧跡。
今は共産党が使ってるのかな?
長春を発つ前に腹ごしらえ。
冬菇烧油菜(椎茸と青菜の炒め物)
炸酱面(ジャージャー麺)
雪花啤酒(雪花ビール)
しめて20元(当時のレートでおよそ¥285)。
ご飯を食べ終わって駅に向かう途中に目を奪われたオート三輪。
後ろに載せてるものから察するに廃品回収なんだろうけど、この車自体がもうなんだかまま化石のような感じで、そばのレストランとかのネオンが赤く照らすものだから尚のこと怪しげでものすごい存在感でした。
長春から大連まで旧満鉄と同じ路線でgo go!
発:長春 22:20 → 着:大連 5:50
座席の種類:硬卧(ハードスリーパー) 下段
料金:175元(当時のレートでおよそ¥2,488)
9日目2008/03/27
旧満州の地を車窓から。
うっすらと白んできた大地を一人眺める人。
この大地で先人たちは国をかけて争ったり新たな夢を見て開拓に勤しんだりしたんだなとぼんやりと思う。
おじいちゃんやお父さんもこの大地に暮らしていたと思うだけで他には何も知らないのになぜだか勝手に哀愁を感じてはおセンチな気分に。
誰ともなしに起きだしては
顔を洗ったり、歯を磨いたりと
少しずつ車内が賑やかになってきた。
旧満鉄の終着地、大連まであとほんのもう少し。
大連駅。旧満鉄路線の終点。
10日目2008/03/28
大連2日目。
旧満州時代の建物がこの大連にも多数現存する。
写真の左手は、旧ヤマトホテル。
こういう建物が明治に作られたんだなと思うと
ホントにすごいなと思う。
大連には今でも路面電車が活躍しています。
まるで松山の坊ちゃん列車のようなレトロな趣きのものまで。
もちろん新しい車輛とかも走ってるようなのですが
このほうが雰囲気あるなーと勝手に思うのです。
12日目2008/03/30
何も当時の面影が残るのは立派な建物ばかりじゃない。
旧日本人街にはその当時の市井の人らの暮らした面影が残ってるらしいとのことでそれらしい場所を散策。
確固たる自信はまるでないんだけど
きっとここら辺のことなのかなぁと。
13日目2008/03/31
日露戦争の激戦地二○三高地。乃木大将して爾の御霊の眠る山「爾霊山」。旅順港がいまだ軍港のため自由には旅行できないみたいだったのでタクシーの運ちゃんを雇っていってもらいました。入場料は40元。
この旅のハイライトの一つ旅順、そして203高地へ。
日露戦争においてロシアの旅順艦隊を殲滅させる為に胆となった場所です。
この場所を獲る為にとてつもない量の血が流れたそうです。
司馬遼太郎の「坂の上の雲」の中で、この203高地を陥落させた後に総参謀長として第3軍の乃木大将を助けるため旅順にくだってきた児玉源太郎から、この203高地を奪取する作戦の成否を問う言葉が受話器の向こうの観測将校に投げかけられます。
『旅順港は、見おろせるか』
その時の観測将校になりきってその光景を眺めながら、
同じ言葉を言ってみたかったんです。
『見えます。各艦一望のうちにおさめることができます』
と。
小説を読みながら思い描いていた風景が目の前に広がっているこの感動。
戦争を賛美する気は毛頭ないですが
この激戦を首の皮一枚で負けずに終われた先人たちがいたからこうしてここでこの風景を見ることが出来たんだと。
黙祷。
水師営。
ここで旅順戦の停戦条約が締結された。
入場料:40元(当時のレートでおよそ¥565)
旅順の帰り道にふと立ち寄った蓝湾という漁村。
すごいものを見てきた後なので
こうした土地の日常を見ることが出来てホッとした。
ちなみに、たくさんあがっていた中からなぜか蝦蛄を買ったもののどうすることも出来ないのでタクシーの運ちゃんにあげました。
14日目2008/04/01
実は、大連にきてからビザの延長を申請していたのですが
遅々として進まず、進んだと思ったら発行まで日数がかかるとか言われ滞在が伸びてしまったので、
ちょっと戻って瀋陽へ。
15日目2008/04/02
19日目2008/04/06
大連からフェリーで烟台まで渡り、バスで友達に会いに青島へ。青島で友達に再会し気を緩めてしまったのかカメラをスられたのでここらへんの写真は全滅。かろうじて当時携帯で撮った写真が残っていたのでそちらで。
青島での出費の一部をなくなった写真の代わりに。
烟台から青島までのバス 55元
なかなかお湯が出ない宿 40元
市内のバス 1元
ウォルマートでの買い物 18元
青島ビール博物館 50元
奮発した海鮮レストラン 380元
2日間に及ぶ青島での甘酸っぱい思い出 priceless
鼻の下を伸ばして浮かれていた間に
鮮やかにスられた1眼レフカメラ 10,000元(およそ)
旅のルート
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