Day 12016/06/25
コタキナバル初日。
登山準備のため、開店と同時に、
コタキナバル中心にある庶民におなじみのデパート「Wisma Merdeka」に押し掛ける。
さすがキナバル山のおひざ元。
わたしのささやかな心配をよそに、登山グッズは充実の品ぞろえ。
さらにラッキーなことに、全品15%OFFセール実施中!!
おかげさまで、
フリース(1770円)、登山ステッキ(413円)、毛糸の帽子(107円)、防寒手袋(325円)、アンメルツヨコヨコ(363円※これは定価)と、
想像以上に安価で取りそろえることができました♪
ちなみに、
Wisma Merdeka1階の両替所、ここ両替率いいです。
お薦め。
今回、1泊2日の登山ツアーに直前駆け込みオーダーをしたにもかかわらず、
1席空いてるとして非常に丁寧な対応をしてくれたSutera Sanctuary Lodge社。
(わたしの時はオンラインでのやり取り)
キナバル山登山は基本最低1泊は必要で、
山小屋に泊まるためには、個人で予約する場合はここを通さないとダメみたいです。
※旅行代理店通しても予約できますが、結局ここが管理しています。
今回は、エアコン無しドミトリー1ベッド+5食付の1Night2Daysプランで781RM(20110円ぐらい)でした。
これに、現地で入園料、ガイド料、登山口までの往復移動費などを別途支払います。
2015年6月に起きた地震の影響で、諸々代金が高くなっています。古い情報にはご注意を!
買い物を終えて、ようやくキナバル山麓にあるラナウ村に向かうべくミニバス乗り場へ。
Wisma Merdekaからも徒歩10分程度の距離にあります。
近くの公園でマーケットが開かれていて夕飯を物色。
ちなみに、ミニバス運賃は一律RM20(約515円)。約2時間。
ただし、ミニバスは人が集まらないと発車してくれません。
15時15分ごろ乗車待機して発車したのは16時近く。
日本人お得意の気長に待つ姿勢が大切です。
時間には余裕を持って行動しましょう。
2時間後、予約していたホテル「ディビラ・リナ・リア・ロッジ」に到着。
ここはキナバル公園から徒歩圏内というだけでチョイスしました。
ミニバスのドライバーには、ひとこと言っておくとホテルのまで降ろしてくれます。
受付に行くとお姉さんから「何の御用?」ぐらいの怪訝な顔で迎え入れられ、
「あの、Hotels.comで予約しました」と伝えたら、
「最近霧が濃くて、システムの不具合かもしれない。ごめんなさい、気づかなかったわ。部屋はあるから」と急きょ用意してくれました。
おい、濃霧で通信遮断されるの?と突っ込みたくなるのをぐっとこらえ、ひとまず、部屋が確保できてよかったです。
しかし、この時点で標高1500m程度もあるので、
日も暮れると確実に寒い・・・
ドアにも壁にもひびがあり、隙間風入ってくるし。
またクモとか虫とか平気で入ってくるしで、日本の蚊取り線香フル稼働。
かろうじて、気持ちぬくい程度の温水シャワーが水圧弱めでも出てくれて生き返りました。
ただ、髪が濡れたままで風邪引くのだけは避けたかったので、仕方なくRM10(約257円)でドライヤーをレンタル。
タダでは貸さぬ、商魂たくましい。
なお、この周辺にはお店ありません。
ロッジにも購買所はありますが、コタキナバル物価のほぼ1.5~2倍と高いです。
コタキナバルで購入してきた方が無難です。
Day 22016/06/26
6時に起床。
7時に宿にて(はっきり言って美味しくはない)シンプル朝食をいただく。
7時半に宿を出て徒歩でキナバル公園入口へ。
約10分程度の距離です。
ここから階段を上ったところに、受付があります。
8時に着いて、すでに登山客であふれていました。
出遅れた感じ。
この独特のフォルムをした建物が受付で、Sutera Sanctuary Lodgeでプリントアウトした予約票を見せると、食事のクーポン券をもらえます。
食事は、
・1日目の昼食ランチボックス
・1日目の夕食ブッフェ
・2日目の登山前朝食ブッフェ
・2日目の登山後朝食ブッフェ
・2日目の下山後昼食ブッフェ
充実の5食です。2万円も払った甲斐があります。
この隣の建物で、さらに入園の受付・支払い等を行います。
発展著しいマレーシアにあって、
外国人からさらにお金を落としてもらおうと
さらなる値上げと現地人との格差約5倍ものメニューが用意されています。
【外国人料金】
・入園料 RM15(約386円)
・登山許可証 RM200(約5150円)
・登山保険 RM7(約180円)
・ガイド料 RM230(約5922円)
・登山口までの移動費 RM17×往復=RM34(約875円)
★合計 RM486(約12514円)
これに、山小屋料金含めると、しめて約32625円。
5食・ガイドに山小屋、絶景付だから、まぁ良しとしましょうか・・・(しかし、ペトラ並みに高い)
受付で登山許可証IDを作ってくれます。
自分のネーム入りです。
AX26の「26」は登山日、「F」は6月を指しているそうです。
(「A」が1月、「B」が2月・・・と数えるとのこと)
これは記念に持ち帰れます。
ここで受付からガイドが割り振られます。
ガイドは英語が話せます。堪能とまでは行かないですが。
日本の旅行代理店を通すと日本語は話せるガイドもいるみたいです。でもきっと高いでしょう。
5名のグループまで1ガイド。
1名でも1ガイドです。わたしは1名だったので贅沢にもマンツーマン登山。
さらに、登山前に受付目の前にあるレストランで本日のランチ用のLunch Boxを確保します。
いよいよ出発です!
車で送迎され約10分弱、登山口「PONDOK TIMPOHON」にあっけなく到着。
ここですでに標高1867m。
ここからは最低でも10時までにはスタートしなければなりません。それ以降ゲートはクローズします。
おそらく日が暮れるまでに山小屋にたどり着けない可能性を考慮してのルールだと思います。
キナバル山は一日の入山数を制限しています。
地震後は、山小屋の宿泊可能数の影響で120名までに絞られているようです。
そのため、富士山のように混雑行脚にはならないところがいいところです。
本ゲートに到着。
ここで名前を正式にエントリーします。
下山した時に無事下山したかを照合するためですね。
受付には、本日登山予定者のリストがあります。
でもアナログにメモ書きです。
示されたところに自分のサインをします。
さて、ガイドのルーニー君に簡単に登山の心得とルートのレクチャーを受けます。
山小屋まで約6㎞だ、と軽く彼は言いますが、
普通のアスファルト道でも1㎞25~30分はかかります。
覚悟はしていたものの、一瞬記憶が遠くなるのを感じました。
この前日は大雨だったそうです。
幸い今日は晴れていて、神様からのプレゼントに感謝。
入口から歩いて間もなく、美しい滝が現れました。
名はないみたいです。
マイナスイオンを感じて撮影するぐらい、
気持ち的にはまだまだ余裕です。
歩いて徒歩10分ぐらいですから…
だんだん道が険しくなってきました。
とはいえ、さすがの世界遺産、かなり整備されています。
特に、基本的に、2015年6月の大地震後の再建で、
さらに登山道が整備されたようです。
運動不足のひ弱な脚にはいずれにしてもこたえますが、
支えがあるのとないとでは負担が段違いなので、ありがたいことです。
休憩所です。
ここでは「シェルター」と呼んでいます。
山小屋までに7つのシェルターがあります。
等間隔では並んでいないので思いがけないところに建っています。
いずれも水洗トイレ完備です。
水洗といっても所詮山です。
下界のようなタイプを期待してはいけません。
トイレットぺーパーは新品1ロール持っていきましょう。
日本人のグループにも1組会いました。
日本人のガイドさんがいてうらやましかったですね。
こんな山の住人からも歓迎を受けました。
人間のエサを求めて周りをうろちょろします。
警戒心が強いながらも食欲旺盛です。
決して手のひらからエサを与えてはいけません。
ガブリと噛みつかれて血を見ます。
(とガイドが言っていました)
ポイントにはこうした現在地と標高が書かれた案内版が掲げられています。
ようやく2039m。
まだ入口から200mちょっと離れただけ?
すでにしんどくなってきました。
ガイドのルーニー君。
年齢不詳ですが、おそらく20代半ば。
しかしガイド経験は8年と豊富で、これまでに800回ぐらい登ってるそうな。
日本に非常に関心があって、片言の日本語を話してくれました。
「ユクリ、ユクリね」
11時半、早めのランチ。
受け取ったランチの中身は、
・ちょっと水分持っていかれ気味のトマトと卵とチーズのサンドイッチ
・冷めて固くなったフライドチキン
・塩もマヨネーズもないシンプルなゆで卵
・丸かじりアップル
・栄養価の高い甘いクッキー
・ミネラルウォーター500ml
と充実の内容。
疲れたからだを癒してくれます。
ガイドは、常に登山者の後ろを見守るように歩きます。
休憩の際も、ガイド同士で固まって休みます。
情報交換も兼ねているのでしょうか。
しかし、常にスマホをいじっています。
そしてガイドの人たちは基本みんな気さくでいい人です。
「コニチハ!オゲンキデスカ!」と声かけてくれます。
日本人とわかると非常に好意的です。
わたしのように1対1の場合は、会話しながら歩いてくれますが、基本、後ろについて歩きます。
お願いすると先を歩いてくれます。
また、負担にならない程度の荷物だったら持ってくれます。
(あんまり重いと追加料金発生します)
ここでいうガイドは、安全な登山を見届ける係で、自然観賞のガイドの意味ではないことを知りました。
前日の雨で道がぬかるんでいるところが多いです。
今は雨季に入って、一日のうち、必ずどこかで雨が降るそうです。
想像はしていましたが、ザックカバー忘れてしくじりました。
後でひどく後悔することになりました。
いろんなタイプの道が出現します。
茶色い岩のゴロゴロ道です。
滑りにくいですが、大変険しいです。
息も苦しいです。
汗が滝のように溢れ出ます。
誰だ、キナバル山は初心者でも簡単に登れるって言ったのは。
だんだん森林限界に近づいてきました。
このころから、
かつて『伊東家の食卓』で教わった疲れない坂の歩き方をしたら、結構効果的でした。
言葉で語るのは難しいので、興味があったら調べてみてください。
ようやく3000mを超えました。
キナバル山名物のウツボカズラ。
2種類のウツボカズラがあるそうです。
これはNepenthes Villosa。
いわゆる肉食で、袋に落ちた虫の栄養分を吸って生きるっていう食虫植物です。
通常見つけづらいとのことでガイドが教えてくれるもんですが、
歩きスマホに夢中の後方を歩くガイドくんが当てにならず、結局自分で見つける始末。
野生の勘が働きました。
どんどん森林限界が広がります。
2015年6月に起きたマグニチュードM6の大地震では、岩肌が崩れ、
日本人を含めて18人の方の尊い命が亡くなったそうです。
ガイドのルーニー君の友達ガイドも2名亡くなったそうです。
自分自身も、安全確保しながら降りてきた、と語ってくれました。
この年このあたりのタイミングで、わたしもボルネオ島にいたので、キナバル山を選んでいたら…と思うとゾッとしました。
キナバル山は火山ではなく地殻変動でできた山なので噴火はないそうです。
そのため地震はまれ。
前回は23年前だそうです。
20年ぐらいの周期であれば、次回は2025年あたりでしょうか。
こんなところに取り残されたら…と思うと、
背筋が寒くなります。
ちなみに、空気も冷えてきました。
ようやくクライマックスの石段です。
この先に本日の宿泊山小屋「ラバンラタ・レストハウス」があります。
もう、倒れこみそうなほど、ヘロヘロでした。
やはり運動不足がたたりました。
登山約5時間後、ほぼ予定通りに14時ごろ到着。
標高3273m。
富士山標高3776m。かなり近い。
黄色の屋根のラバンラタ・レストハウスは、主に外国人登山客向けで、この1階部分がガイド専用宿泊エリアとのことでした。
2日に1回ほど訪れているというガイドくんは、
ここにトレッキングシューズ干してるんだ、と言っていました。
そんなことを気軽に言ってのけてしまう彼が、なんだかソンケーのまなざし。
こんな空気の薄い天空のテラスでバレーネットが。
こんな高地でバレーをする勇者は果たしているのか。
ちなみに奥は絶好の崖。
ラバンラタ・レストハウスの入り口。
当施設は7:30AM~19:30PMまでの利用可。
16:30PM~19:00PMまで夕食タイム。
2:00AM~3:30AMは登山前朝食タイム。
7:30AM~10:30AMは登山後の朝食タイム。
です。
山小屋のロビー。
実に広々として清潔で、ガラス越しには絶景眺めながらの食事ができて素晴らしいです。
電波も通じます。無料WiFiはありません。
電気が通じているので充電も可能です。
温水シャワーも、今は出ます。
(ちょっと前まで壊れて冷水シャワーだったそうです)
3階建てで、1階がガイド専用、2階がロビー兼ダイニング・受付カウンター、3階が宿泊施設とバスルーム。
個室とドミトリーがあります。
このロビーではドリンク飲み放題です。
サバ州名物のサバティー飲めます。
受付ではお菓子やお酒、お土産品など意外な品揃えで抜かりないです。
日本ではごみは持ち帰りですが、ここではごみは捨てられます。
でも、常識の範囲でね。
エアコンなしのドミ4人部屋。
ベッドは先着順です。
大き目のバスタオルと部屋の鍵を受付で受け取ります。
エアコンなしということでビビってサマーシュラフを持ってきましたが、機密性高い壁なのか、思ったほど寒くなく、最終的にはめくっていました・・・
隣で、イタリア人男性とマレーシア人女性の熟年カップルが一つのベッドで一緒に寝ていて、「寒いから一人で寝るより二人の方があったかいだろ?ね?」と聞いてもいないのに言い訳されて、「はぁ、そうですね」などと相槌打つしかない無力なわたし。
仕方ないので、16時半から始まる夕食を前に、
滝のように掻いた汗を流しにシャワーに行きました。
16時半、今宵のディナーブッフェです。
山小屋でブッフェとは、赤岳展望荘以来です。
予想をはるかに超えてゴージャスです。
肉も野菜もフルーツもデザートまで付いて充実したラインナップです。
主食は麺でもライスでもパンもあります。
選び放題です。
でも、味は意外にそこそこです。
食欲旺盛な欧米人が、思ったほどお代わりしていないのが印象的でした。
また、これだけの食材を常備するために、3200mもあるこの場所まで、一日何度も行き来するポーターたちに頭が下がる思いです。
夜も更けてまいりました。
深夜2時半のアタックに備え、
ありえない時間の18時半には就寝。
ヘトヘトに疲れていたので
あっという間に爆睡。
イタリア人・マレーシア人カップルは、女性の方が高山病の気配で具合が悪くなってしまったらしくやたらバタバタしていました。
ありえない時間に体がついていかなかったのか、
30分に1回目が覚めて、結局寝不足のままアタックの時間を迎えました。
Day 32016/06/27
1:00起床→支度。
2:00登山前朝食ブッフェ。
ここでも律儀にブッフェ。
どこまでも充実の品ぞろえ。
焼き飯チャーハン、焼きそば、フレンチトースト、お粥にビーンズ、食パン、フルーツ・・・
これから片道約3時間の登頂アタックが待っていると思い結構がっつり食べました。
ガイドのルーニー君ともロビーで待ち合わせ。
毛糸の帽子で銀行強盗さながらのい出立ちでいるわたしを軽くスルーして真っ暗な中、登山開始。
ヘッドライトと月明りのみを頼りに、足元不明な中、ひたすら登山。
最終シェルターのサヤッサヤッ小屋からは命綱だけの岩肌です!
ひたすら足元に気を付けながら歩くこと3時間、
ようやく標高4000mのおひざ元に到着。
もはや空気が薄くてたまらない。
ちょっと歩くだけですぐに息が上がります。
でも、高山病用のロキソニンが効いて、頭は痛くない。
途中途中で、空気の薄さに気分が悪くなる人、頭を抱える人が続出。
高山登山は、ロキソニンかバファリンがてきめんです。
富士山登山でも同様です。
騙されたと思ってお試しあれ。
夜明け直前。
これは山頂のロウズ・ピークの前のサウスピーク?かな。
名物のドンキーイヤーズ(ロバの耳)岩は、よく分からなかった…
いよいよ、5時45分ごろ、
4095.2mを登頂達成!
ガイドのルーニー君と熱く抱擁ならぬ、握手を交わす。
「グッジョブ!マユミ!!」
山頂のローズ・ピークLow's Peakは非常にとんがった狭いエリアで、記念撮影をしたらすぐにどかなければならない。
はい次、ハイ次、と撮影を順番済ませたら、後は少し下に降りて夜明けを待つのみです。
夜明けのブレス。
なんてのんきに冗談言ってる場合じゃないぐらい、ホントに酸素が薄い。
4000m級は伊達じゃない。
途中まで軽くわたしを追い越して行った台湾人の男の子やイタリア人のカップルらが、高山病発症しだして次々に脱落していきます。
すごいぞ、ロキソニン!
しかし、ウルトラ寒い。
そりゃそうですね、富士山より300mも高い。
わたしの防寒対策は、フリースの下にユニクロのウルトラライトダウン、ウルトラライトダウンベスト、極暖シャツ、極暖スパッツ、さらにホッカイロもお腹と背中へ二枚張り。それらをレインウエアで保温カバー。
銀行強盗顔負けの目だけ見える毛糸の帽子をすっぽりかぶり、スキー用の手袋で手先をガード。
足元は靴下二枚重ね。
ほれぼれするほどの完ぺきな防寒対策。
というか、頂ではよかったですが、登山中は暑くて脱ぎました・・・やり過ぎました。
天空の城です。
雲上の神の領域。
しばし、達成感と優越感にひたる。
白々と夜が明けてきて、登山客もユクリユクリ、増えていきます。
前述しましたが、キナバル山は一日120名しか登れないので、富士山のような数珠つなぎの行脚登山なんてことにはなりません、基本。
滑らかな岩肌で滑りやすそうに見えますが、
意外と滑りににくいんです、これが。
ザラザラしてます。
普通のチャラい運動靴でも滑らないですし、
ガイドによってはサンダルなんてつわものもいます。
雨に濡れてないってのを差し引いても、
そういう花崗岩の成分なんでしょうね。
ひとしきり天上界で写真を撮ったあと、
ガイドくんのお導きで6時半前には下山開始。
これまで暗くて見えなかった道が一気に眼前に広がり、
キナバル山登山された方一様におっしゃられる、「こんな道だったとは!」という驚愕の思いにふけります。
・・・そして、山の頂を振り返る。
これから登る人もいる。
感慨深くその後ろを見守る。
ガイドくんはさすがの手練れ、
何にも頼らずほいさっさと軽快に降りていきます。
こんな頼りないロープ一本で、
あの暗い夜道を無事歩いてこれたとは…。
それもこれも、ガイドのルーニー君様様です。
わたしの重たい体を何度も引っ張りあげてくれました。
「コッチコッチ」と正しき道を指し示していただきました。
かたじけない気持ちでと
ありがたい気持ちでいっぱいです。
ま、それがガイドの仕事なんですけどね。
前日の登山客は土砂降りで登頂できなかったそうです。
そんなこともあるんですね。
はるばるコタキナバルまで来て、
キナバル山の山小屋まで必死でたどり着いた先に、
運が悪かったで指をくわえて登頂断念なんて、
前日の人たちの悲壮感が思いやられます。
登りの時は暗くて撮影できなかった、
最終案内のサインボード。
標高3929m。
ここで、楽しげに記念撮影する人、顔を真っ青にして倒れこむように座る人、いろんな人間模様が観察できました。
陽がだいぶ上がり始めました。
下山当初は登り切った達成感と高揚感で、
ガイドのルーニー君と彼の夢や希望に耳を傾けながら楽しく降りていたのですが、
ここにきて、運動靴登山の制裁を受けることになります。
くるぶしまでカバーしていない、ジャストフィットの運動靴では、下山時につま先一点に重心がかかってしまい、
足の指全体を圧迫し始めます。
まして、踏ん張る無駄な力が下半身全体の脚の筋肉を傷めつけます。
少なくともラバンラタのレストハウスまで2時間。
すでに不安が頭をよぎりました。
ここは登頂エントリーを最終行うサヤッサヤッ小屋(Sayah-Sayah-Hat)。
トイレもここまで。
すでに足の指がはれはじめ、両太ももの筋肉がちぎれ始め、膝が笑い始めました。
もはやステッキなしには歩けません。
400円のステッキ、大活躍!
それでもツアーは1泊2日。
容赦なくさらに長い下山が待っています。
とりあえず、ラバンラタ・レストハウスまで頑張ります。
ラバンラタには8時半ごろ到着。
すでに魂が抜けてしまうぐらいヘトヘトなのに
これから4時間のハードな下山が待っていると思うと
ガラスのハートが粉々に砕けそうでした。
そんなわたしを慰めるかのようにゴージャスな朝食が。
こんな山の頂の小屋で、パンケーキ実食。
フレンチトーストまで。
そしてチャーハンに焼きそば。
嬉しい炭水化物のオンパレード。
締めは、サバ州名産サバティーで疲れを癒す。
「出発は9時半ね?大丈夫?」
「無理です」とは言えない奥ゆかしい日本人の自分が切ない。
もはや、死んだ方がましかと思うほどの
地獄の所業の下山。
追い打ちをかけるような激しい土砂降り。
神様は常に試練を下さる。
山頂で「わたしたちはラッキーだったね、昨日の人たちが気の毒」なんて軽くほざいていた自分が激しく恥ずかしい。
もはや登った時よりも時間がかかったんじゃ、
と思うぐらいにスローペースで下山。
脳とからだがまったくちぐはぐで、既に動きがスターウォーズのC-3PO(ドロイド)状態。
見かねたルーニー君がわたしの荷物まで持ってくれました。
わたしの荷物は当初7㎏くらいありました。
ザックカバー忘れて、濡れてしまったバッグはさらにその重量を増しています。
ポーター料追加かな、なんてドキドキしながら下山しつつ、
ヘビみたいな巨大ミミズを撮影する余力は残っていました。
ポーター料は請求されませんでしたが、
わたしの日本語と英語の愚痴に対してルーニー君はひたすら寡黙に徹しました。
嫌な思いさせてしまい反省。
10時に山小屋を出たという人たちがサクサクとわたしを追い越す中、瀕死の状態でようやくTIMPOHONゲートに到着。
結局4時間かかりました。
今回の教訓は、登山はなめたらアカン、でした。
おしゃれは足元から、健康も足元から、
靴は大事だと思い知らされました。
満身創痍な中、世話になったルーニー君にせめて一言感謝の気持ちを伝えようとしたところ、案外あっさり「じゃこれで、See you」とその場を立ち去る男前のルーニー…
最後に下山終了の受付を済ませ、
受付に預けていた荷物にあった乾いた衣類に着替えて、
最後の食事のBalsam Buffe Restaurantへ。
最後までブッフェで贅沢三昧です。
ただ、冷めていたり、あまり日本人の口に合わなかったり、ハエがぶんぶん飛びかっていたりと、期待し過ぎるとがっかりしますのでご用心を。
帰りは、コタキナバルで40分720円の激安フットマッサージをしてから空港に向かいました。
それでも足りず、空港でもマッサージチェア60分250円でからだをほぐして帰途に着きました。
おしまい
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