Day 12002/09/02
Day 22002/09/03
朝まで2Fのバーで時間をつぶし、タクシーでミラフローレス(新市街)の宿へ。
新市街ミラフローレス。
新市街へ向かう最中でタクシーから見た光景は、旧市街と新市街のその差。
掘ったて小屋、砂埃の舞う路。
それを過ぎたあとのスペイン風の立派な建物。
ペルーがスペインの統治下にあったのは有名ですが、インカ皇帝アタワルパを処刑したスペイン人、フランシスコ・ピサロが、ここリマを南米征服の拠点として首都建設を始めたのが1535年。それがセントロ(旧市街)地区でコロニアル式の歴史的建造物が多く並びます。
ですが1940年代の相次ぐ大地震の影響でスラムの建設が増えたんだとか。
戦後大きく栄えたときに建設されたのが新市街で、立派な高級住宅が立ち並びます。
新旧のコントラストを味わえるのがリマの魅力でしょうか。
宿に着いてしばらくして旧市街をしばしうろうろ。
ある路の角を曲がった瞬間、
その場の雰囲気が変わりました。
何かが違う。
子どもが前方から寄ってきました。
友人は財布を盗られまいとパーカーに手を突っ込んだまま歩いていました。子どもとすれ違う際に一瞬手が伸びて来たらしいのだけど、回避。
財布ではなく、腕時計を盗られたのだと気づくのは、時間を見ようと左腕をあげたずっと後のこと。
あいにくの天気ですが太平洋!
切り立った崖。
昔港町として開かれたのはあの先っぽだろうか。
Day 32002/09/04
セントラル公園近くまで来て昼食。
本日の太平洋!
翌日はバランコ地区にも足を延ばしました。高級住宅街な雰囲気は変わらず。
バランコとミラ・フローレスは夜でも安心な雰囲気でした。
デパートなどの高級店が多い新市街ですが、「これぞペルー!」というような民芸品市場もありなかなか楽しめました。
アレキパ行きのバスを予約しに来たクルスデルスル社Cruz del Sur。
意外とポップでかわいい内装。
Day 52002/09/06
Basilica Cathedral of Arequipa
カテドラルは近郊で採れる火山岩で造られたもので、真っ白でとてもきれい。
アレキパは「白の町」ともよばれています。
街の中心部のアルマス広場、この白いカテドラル、ほかにもスペイン統治時代の歴史的な建造物が並んでいます。修道院が多く作られたペルーの中でも特色ある宗教文化都市となっているそう。
このアレキパの歴史地区は2000年に世界遺産に登録されました。19世紀には、一時ペルーからの独立を宣言したこともある“誇り高き”街なんだそうです。
Day 62002/09/07
アンデス聖地博物館Museo Santuarios Andinos
ここには、「フワニータ」という少女のミイラがあります。
アンデスの乾燥した土壌の中で500年もの間凍結したままだったので、保存状態がとても良いらしく、髪の毛まで。。。
火山の噴火が立て続けに起こり、神様の怒りを鎮めるために身を捧げた美しい巫女さんだったと言われています。
サンタ カタリナ修道院。つい30年前まで実際に使われていた修道院だそう。
2万平米もの敷地に教会や礼拝堂。
回廊/パティオ/居住スペースが複雑に配置されていて、歩いているとまるで迷宮に迷い込んだような気分になります。
入り組んだ小道は、かわいくってどこを切ってもフォトジェニック。
Day 72002/09/08
アレキパは鶏の生産量が多いらしい。
ホテルの斜め前にあったpollo(鶏)屋でハンバーガーを買ってアルマス広場で食べておりました。
ジューシーでむちゃくちゃ美味しいんです!
夜のカテドラルはライトアップで白く浮き上がり、アルマス広場一体を幻想的に彩ってとても美しかった。
Day 82002/09/09
ウロス島。
チチカカ湖に浮かぶ島々では、今でも島民が昔ながら独自の様式で生活しています。そんな暮らしを垣間見る事のできる1泊2日のツアーに参加しました。
最初に降り立ったのはウロス島。
チチカカ湖に生えてるトトラと呼ばれる草と土を使って浮島を形成しているそう。なので足下はなんとなくゆらゆら?
その上にトトラを使って家を作り、生活をしていています。なにもかもがトトラ!
トトラを使って作られた小舟、
バルサに乗って隣の島へ。
乗る時はとても恐いけど、一度乗ってしまうと結構丈夫で安心しました。
ただ、漕いでくれた女の人がはぁはぁ、と息をきらしています…。
大変なんだなぁ…、ありがとう…。
それからアマンタニ島Isla Amantaniへ。
今夜は民泊。
ボートを降りて階段を上るとケチュア族の人たちがたくさん迎えにきてくれています。
そこから先は皆ばらばらの家へと分散。わたしたちはある少女に迎えられて、はにかむ少女と握手をし、彼女の後を必死で追っていった。
彼女は歩きながら編み物をし、常に下を向いていました。
彼女の家は7人家族。
想像していたよりはかなり綺麗な部屋。眺めも良好!
お昼ご飯を持ってきてくれます。
プチッとした食感のお米みたいなものと野菜たっぷりの雑炊っぽい食べ物。あとものすごい量のいも。それからマテ茶。高山病に効きそう。
夕方、パチャママ/パチャタタを見に裏にある山へ向かいました。
標高4255mくらい。
お母さんの後を追って登ったのだけど、は、はやい…。さすがです。
子ども達がラッパを持ってわらわらとやってきます。
歩きながらの大合奏。
なんていう肺活量だ…。
夕陽を堪能した後、お家に帰ります。
暗くなった室内は蝋燭の光。夕飯は昼食と同じような雑炊のようなものと、米にじゃがいもなど色々切ったものをあんかけのような感じにかけた薄いハンバーグのようなものがのっていたもの。
とってもおいしい!
食事を下げに外に出ると、空一面に星という星が瞬いていて…。
感動して涙が出ました。
と、そのうちお母さんが入って来て民族衣装を着せてくれました。お父さんとお母さんと一番目と二番目の子どもと6人で外へ。
真っ暗闇の中を必死で着いて行って、明かりの見える体育館のようなところへ。
ダンスパーティーが行われておりました。ステージではフォルクローレ。
娘さんと踊り、皆で輪になって踊り。終盤は踊りというかマラソンに近い。きつい…。
翌日はタキーレ島へ。
ここでは男性が編み物をして、女性は糸を紡ぎます。
アマンタニ島でもタキーレ島でも観光で生計を立てているのでしょう。
子どもたちが「これはどう?」と自分たちで作ったものを勧めてきます。
パフォーマンスをしてくれた後はチップを要求してきます。
でもここの人たちは本当にシャイでうつむき加減で。
今も民族衣装を着て過ごす彼らにとって、伝統的な暮らしと、貨幣が必要という現実とのギャップに苦しんでいるのかもしれません。
Day 112002/09/12
一日一便しか無い列車でクスコに向かいます。
結果的にはバスで行った方が早く着くようですが、列車からの景色がとても良いらしいのでこの方法を選びました。
Day 122002/09/13
アルマス広場Plaza de Armas
インカ帝国時代は、300km離れた海岸から運んだ砂が敷き詰められ、金銀の像がいくつも立っていたそうです。
現在はレストランや旅行代理店やショップが立ち並ぶ中心地、人が自然と集まってきます。
広場をゆっくり歩いたり、一休みしたり、のんびりできる良い場所です。
オリャンタイタンボ遺跡。
なかなかすごいです。
マチュピチュを見る前から興奮!
オリャンタイタンボから出る列車に乗るまで時間があったので、(クスコから乗るとやたらと高くなるのです)近くのレストランへ。
ここで飲んだトマトスープがとっても美味しかった(と旅行記には書いてあったけどどんな味だったかは思い出せない w)。
オリャンタイタンボ駅周辺。
かわいい。
Day 132002/09/14
21:30、すっかり暗くなってから着いたアグアスカリエンテス。
すぐに宿を決めて早々に就寝。
翌朝、駅近くまでこの階段降りていき、バスのチケットを購入。
バスはつづら折りの山道を登っていきます。
決して下からは臨めない謎の空中都市マチュピチュ。
天候は変わりやすく、すぐに陰ったり晴れたり。この景色が見られて本当に嬉しい!!
「空中都市」と言われるマチュピチュ、実は標高2,400mくらい。
ですが下からは絶対に気づかれない、発見されたときにはもう廃墟だった、なんてロマンですね。
マチュピチュは写真でみるよりずっと広く、神殿・宮殿跡地だとか、位が低いひとたちの居住跡地だとかがあり、その場所によって石組みの方法が異なっていたりしてとても楽しめます。
どうやってたどり着いたんだろう、何を持ってきたんだろう、どうやって建設したんだろう、どんな暮らしだったんだろう。
そんな想像をしながら。
遺跡の端にある階段を下りてみると…、
何もない…。
途中で終わってる…。
落ちてしまうやん…なんでだろう、気になる…。
リャマさんが普通にその辺にいます。
むっちゃかわいい!
ワイナピチュHuayna Picchuより。
マチュピチュの定番の写真に映る大きな山は、ワイナピチュといいます。その頂上を目指していざ。
…
かーなーりーーきついっ。
でも体力のある人だったら30分くらいで着けるらしいです。
頂上からマチュピチュを見下ろしながらちょっとだけゆったり。
つづら折りの道が見えます。
バスを通すために新しく作った道です。
下山したあとは、反対方向、つまり遺跡から離れる方向へ進んでみます。トレッキングで来る人たちのルートのようです。
そこで急に天候が怪しくなり…、黒い雲がゴロゴロという音とともにワイナピチュを覆います。
やばい、と思って引き返すも、遺跡に戻る前にすっかりおとなしくなりました。
それくらい天候は変わりやすいのです。
朝方のマチュピチュも良いというけれど、遺跡側のホテルには貧乏人には泊まれません。
後ろ髪ひかれながら遺跡を後にします。
そして名物「グッバイボーイ」。
あのつづら折りの山道をまっすぐに駆け下りて出会う度に「グッバーイ」と手を振ります。
なんて悲壮感漂う声なんだろう。
なんてさみしそうな笑顔なんだろう。
バスが急なカーブを曲がる度にそれが続き、下まで下りてきたグッバイボーイはバスに乗ってきます。
ここでは私もチップ出しちゃいます。出さずにはいられない。
可哀想とか言ってられないくらいの圧倒的なパフォーマンスでした。
ありがとう。
Day 142002/09/15
クスコに戻ってきて早速スリに遭ってしまったわたし。
おばちゃん3人組の計画犯。
肩を叩かれて「何かついてるよ」と一人が後ろからわたしを追い越す。
反対側の後ろにいたもう一人がほらここ、と指す。
え、ほんとだ洗剤みたいなのがついてる気持ち悪い…。
と、わりかしよくあるパターンにひっかかってしまい。
その間にもう一人がウィンドブレーカーに入れていた財布をすっと盗っていったのでした…
(後から分析すると、ですが)
でもクスコの治安はあまり良くないとも聞いていて、ほとんど入れてなかったのでおばちゃんたちもさぞかしがっかりしていることでしょう。。
スリってすごい、ほんとに一瞬。
写真はメルカド(市場)でチョコを買い、ホットチョコをつくってちょっとほっとしてる時間です。(汚いですが…)
Day 162002/09/17
乗馬をしにサクサイワマン遺跡Sacsayhuamanへ。ピューマの頭の部分に位置しています。
大きな大きな巨石を用いた石組み。
どうやって…???不思議がいっぱいです。
ユリちゃんという名前のお馬さんと一緒に走ります。
ぱかぱか歩いていたのが、
ぱっかぱっかになって。
冷たい風が気持ち良くて。
と、スピード出しすぎて迷子になりました…。
Day 182002/09/19
アンデスの美しく連なる峰を眺めながらリマへ。
親切に声をかけてくれて、シャイで声がいつも小さくて、目を合わせようとしなくて、はにかんだように微笑して。
大きくて美しくて厳しいアンデスで暮らす人たち。
でもやっぱり、一番に思い出すのは、懸命に働く子ども達の僅かに濡れた瞳かもしれません。
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