近代建築の巨匠ル・コルビュジェが1950年代に都市計画をしたチャンディーガル。「愛と哀しみのル・コルビュジェ」これはある本の題名だが、それを感じ取る事ができたような気がしたチャンディーガルでの数日。
1日目2011/09/10
デリー到着日。
夕方の電車を待つため市内観光をし、 ニューデリー駅からチャンディーガール駅へ向かいます。
チャンディーガールへ向かう列車内で、隣に座っていた女性Shrekhaに招かれて
ご自宅に二泊ステイさせていただきました。
2日目2011/09/11
セクター10 art gallery
チャンディーガルは、1947年の印パ分離の際、パンジャーブ州もインドとパキスタンに分離し、かつての中心地がパキスタン側になってしまったため、新たに州都となった。
その際に都市計画をしたのが近代建築の巨匠ル・コルビュジェ。
セクター10 architecture museum
停電にも関わらず入れてもらって懐中電灯でじっくり見学。
どうやらコルビジェ以前の計画ではなだらかな曲線の都市計画だったよう。
チャンディガールは800m×1200mのセクターで区画分けされていて、コルビュジェはそれぞれのセクター内だけにおいて、"住む"、"働く"、"レジャー"が出来るようにしたらしい。
でも現状はそうなっていないような気もする。(広過ぎて分からなかったけど)
色々休館のところが多い日だったので、ぶらっとSector1のShkhna Lakeへ。
外国人が珍しいわけでもないだろうに、私の廻りに有名人ばりの人だかりができて「one snap please」の嵐 笑
写真撮るとなるとばっちしキメてくるのが良いね!
Sector1 ロックガーデン
くすりと笑っちゃうようなオブジェがたくさん。
アーティストであり建築家であり、エンジニアでもあったネック・チャンドが作った広さ25エーカーに及ぶ夢の世界。
ラクダもいる。
最後に到達する公園には巨大ブランコもあります。
一人で乗るのもなんなので乗ってませんが、皆たのしそうでした。
方、もう一度Sukhna lakeへ。
イベントがやっておりまして、
一般人ダンス大会 みたいな。
Punjabの音楽もダンスも独特過ぎてとても楽しめました。
高度経済成長期にグローバリゼーション。
インドはどんどんどんどん発展していくのに、いつまでも変わらないところがあるのが魅力的なんだと思います。
3日目2011/09/12
Sector 1 高等裁判所。
正面へ廻ると言葉もなく震える程の感動が走ります。。。
■入館情報
セクター9のArchitecture Departmentでpermissionをもらう(2011年9月現在セクター17のtourist informationではもらえない)。
高等裁判所に着いたら二次permissionを発行してもらって見学開始。
圧倒的なスケール感。ただただすごい。
フォトジェニックな壁!
前庭にあるオープンハンド。
目にした瞬間に涙が溢れそうになりました。
じっとりとする外気。
何もしてなくても額から汗がにじむ。
そのせいか人は全然おらず、しんと静まり返って。
風の音と、風に揺れるオープンハンド。「開かれた手」
言葉では上手く言えないけれど、
コルビュジェの愛がここに詰まってる気がしました。
Sector 1 合同庁舎 Secretariat。
receptionの後、建物内でもう一度permissionをもらうと、見学者に一名兵士がついてきます。
その上屋上のみの見学…。
「君に連れ添えるなんて僕はラッキーだ。」
(かるい!)
ほぼ更地だったというチャンディーガル。綺麗に区画整理された街は、殺風景だと思う人もいると思う。インドらしくないと思う人もいると思う。
確かに、観光で行った私には、郊外型車社会の街にも映った。
けれど、真っ白な地図に線を入れていく行為は、想像以上にとてもつらかったに違いないと思う。
チャンディガールの計画は、コルビュジェにとって、孤独と恐怖との闘いだったのかもしれない、と思ったりもする。
セクター1 議事堂 Assembly
◇休館日:土日祝
こちらは外観のみ。
エントランスで「はるばる日本から見に来たんだ入れてよ!!」とごねてみたけれど、
「ソーリー、マダム」と言われてしまいます。
悲しい。。
セクター14パンジャブ大学へ。
Gandhi Bhawan ガンジー記念館。
ピエール・ジェンヌレによる設計。
コンパクトな建物だけど豊かな空間の質。立体的なスタディから生まれただろう構成。
設計も楽しかっただろうと思います。
セクター14 Punjab University内 Fine Art Museum
小さな箱を連ねたシンプルな構成だけど、シークエンスが美しかった。
正方形平面の廻りはハイサイドライトで内部はとても明るい。
Saksham と Kartavya。
次の街に向かう前は、ノートにヒンディーのあいうえおを一生懸命書いてくれました。
お礼に日本のあいうえおを。
旅のルート
コメントする