Day 12015/03/08
中山道を行く人たちの休憩所としても利用されていたらしい弁財天の池です。池の真ん中に天保7年に建てられた弁財天の宮が祀られています。
普通の池でしたが、いい時期に行けばカキツバタやスイレンがみられるそうです。
近くにサーキットがあるようで車の音が遠く響いていました。
大湫町と日吉町の境に位置し、麓から頂上までの高低差80m、長さ1kmに及ぶ琵琶峠
標高540mで、美濃国中では最も高い峠です。
所々に史跡や案内板があるので、散策しながら歴史を学ぶことができました。歴史好きな人にオススメ。
昔の姿のまま残る八瀬沢一里塚
琵琶峠西上り口付近の道の両脇にあります。
江戸から92里(368Km)、京都から42里(168Km)の場所に位置しているそうです。
琵琶峠の石畳は1970年に江戸時代のままの姿で確認されました。全長約730mで日本最長の石畳と言われています。
平成9年度から12年度にかけて整備、復元されたそうで、ちょっとした峠ですが歩きやすいです。とても静かで、自然の中を気持ちよく散策できました。
琵琶峠東上り口石仏群
大垣の大店の娘が山賊に襲われた時に身代りになって斬られた身代り観音と、その話を聞いて娘の父が寄進したもう一体の二体が祀られています。
今はこんなに静かで穏やかな場所なのに、昔は山賊が出るような怖い場所だったんですね...
中山道47番目の宿場、大湫宿
大湫宿は山中の小さい宿場にもかかわらず、十三峠、琵琶峠を控え多くの旅人で賑わっていたそうです。
今は人通り、車通りもほとんどなく、静かです。
高札場とは江戸時代に三定など幕府からの村民心得や板書札を掲示した場所。
立派な高札場跡です。
宿の場合、旅人の道中心得や人馬賃銭など道中奉行所からの高札も掲げられたそうです。
当時の様子そのまま、きれいに復元されていました。
慶長13年に再建されたという神明神社の境内には、樹齢1200~1300年の大杉があり、神社の御神木として大切に守られています。
この杉の根元には、水不足から人々を救ったという言い伝えのある泉があり、現在も水が湧き出しています。
こういう御神木を見ていると、昔の人が木には神が宿ると神聖視したのもわかる気がします。
皇女和宮の陶製人形
文久元年10月、仁孝天皇第8皇女和宮が14代将軍徳川家茂のもとに降嫁する際ここに1泊したのが、大湫宿史上一番の出来事。
皇女和宮が宿泊した本陣は、間口二十二間(約40m)、奥行十五間(約27m)、部屋数25、畳数212畳、別棟添屋6と広大な建物だったそうです。本陣の一部は隣接する土岐市の民家に移築されているそうですが、ここには残っておらず、小学校の校庭になっていました。
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