一番のアイコン、ポドガリツァにあるモニュメント。たどり着くのも楽ではない。わかるのは村の名前。最寄駅はポポバチャと言ってザグレブから電車で1時間20分。そこから山へ向かってアップダウウンを繰り返しながら歩く。片道徒歩3時間、往復で6時間。これはキツすぎるので、ホステルでダンボールをもらい村の名前と駅の名前をそれぞれ書いて、ヒッチハイクを期待しながら歩いた。駅から離れれば離れるほど車は減って、しかもみんな首を横に振る。人生初のヒッチハイクは恥ずかしくて、失敗に終わった。諦めた僕はダンボールを折り曲げてバックパックに詰め込んだ。そして2時間半ほど歩いたころか、僕の前に大きな青いトラックが止まった。中から腕っ節の強うそうなおじさんが出てきて、現地語でなにかを言っている。僕は理解できなかったので、もしかしたらと思い必死に「ポドガリッツア!」と叫んだ。すると腕を引いて乗れというのだ。
なんという幸運だろう。ブルートラックはものすごい勢いで道をかける。馬は道の隅でこちらを眺めるし、農夫なんかは笑いながら手を振る。あっという間に村についた。僕は「フバーラ(ありがとうの意味)」と言っておじさんと別れた。
Day 12013/09/20
音楽を聴きながら歩いた。確か、コールドプレイの静寂の世界というアルバムだ。コールドプレイは日本で準備しているときから聞いているのでこの旅のテーマかもしれない。
馬たち。これを撮ったしばらく後に青いトラックが止まった。
手前にある盛り上がった土がお墓になる。インターネットの情報にも限界があるし、現地の人もあまり喋りたくない。だから詳細は不明だ。
わかるのはユーゴスラビアが第二次世界大戦後に作らせたものだということ。彼らは大戦前から積み重なった複雑な民族の問題を、共産主義の理想的な世界というイデオロギーでフタをした。その政策の一つとして、地域の彫刻家と協力し、こうした巨大モニュメントをバルカン半島全土にわたり作った。作家の芸術性とイデオロギーが融合した特異なデザインに、もはや祈り本来の力はない。無理やり解決しようとした民族の軋轢はユーゴスラビア崩壊という形で噴き出す。
モニュメントは大戦の傷というより忌々しい共産主義の象徴として捉えられてしまった。だからその多くは破壊されている。
政治同様、芸術はあまりにも無力だった。薄汚れた造花の献花が足元にある。人間の醜さにはどのような思想も芸術も文化も対抗できないのか。土の中に無数にねむる屍に支えられて、翼を広げるモニュメントはなにも語らない。
Travel Tracking
Comment