ヴロツワフの街の巨大アート!名もなき通行人達の記念碑

ヴロツワフ駅近くの交差点、突如現れる銅像群に観光客の目も釘付け。等身大で製作された人の銅像は、共産主義時代からの変化の象徴として今も街を見守り続けています。今回は、この「名もなき通行人達の記念碑」の歴史について紹介します。

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こんにちは。Compathy MagazineライターのKazumiです。

ポーランドの南西部の街ヴロツワフの見どころと歴史のご紹介第四段として、今回は街を歩いていると突如交差点の両側に現れるたくさんの像「Pomnik Anonimowego Przechodnia(名もなき通行人達の記念碑)」についてご紹介します。

Pomnik Anonimowego Przechodnia(名もなき通行人達の記念碑)とは

筆者撮影

ヴロツワフの駅から徒歩5分程の場所、ピウスツキエゴ通りとシフィドニツカ通りの交差点に、ついつい立ち止まって見てしまうインパクト大の銅像群があります。
大通りの横断歩道の両脇に、片側はまるで地下に潜ってあたかも消えていくように、もう一方は地下から出てきたかのように歩いている人々の銅像群です。車道に近い銅像ほど、より深く地下に沈んでいます。

銅像は全て等身大の人の大きさで、ベビーカーを押している母親やタイヤを持った若い男の人、コートを着た年配の男性や傘を差しているいる人、杖を突いた老女などそれぞれ全て違う形。
大通りの両側にそれぞれ7体ずつあります。

筆者撮影

この銅像は、1977年にポーランドの彫刻家Jerzy Kalinaによって当初はTVの現代美術評論番組“Vox Populi”のために作られ、首都ワルシャワの大通りに設置。最初は1日だけ設置の予定でしたが天候の為7日間設置され、その間ワルシャワ市民は道に置かれたアートを楽しむことができました。

その後は解体され28年間ヴロツワフのオドラ川添いにある国立博物館に展示されていました。そして、ポーランドの戒厳令が導入されてからちょうど24年目を迎える2005年12月12日の夜、現在の場所に移動された経緯があります。

戒厳令とは?

理解を深めていただくために、ここで戒厳令のしかれた時代について少しだけ歴史をご紹介しますね。

ポーランドは第二次世界大戦後1945年から1989年までは共産主義を採用。1952年からは独立した主権国家ながらもソ連の衛星国となり、ソ連の支配や影響を強く受けていました。
そのような共産主義・独裁体制の政治に反対する人々のクーデターやデモ活動を軍事力を持って治め、管理するために施行されたのが戒厳令です。ポーランドでは1981年から1983年まで戒厳令がしかれていました。

これらの銅像の群は、戒厳令のしかれていた厳しい時代に地下に潜って共産主義と戦った多くの名もなき人々の記念碑として現在もヴロツワフの街の移り変わりを見守っています。
そのため、この銅像群はポーランドの「変化」の象徴として指摘されることも多いようです。作製当初の目的とは違いますが、地下に潜って消えていく人々の像はまるでポーランドの地下運動の記念碑として特別に作られたかのようにピッタリですね。

筆者撮影

以前ご紹介した「小人の像」も 同時代の反共産主義運動のシンボルを記念して像を作ったところから始まったもの。
ヴロツワフには「歴史を忘れないようにモニュメントにして残そう」という取り組みを多く感じることができますね。

おわりに

この交差点での信号待ちは見るべきものがあって、退屈やイライラとは無縁ですね。むしろ青信号をあと数回見送って暫くその不思議な光景を眺めていたくなるほどです。
銅像のある場所はヴロツワフの中央駅から650m、旧市街広場からも1㎞の徒歩圏内ですので、ヴロツワフ観光の際にはぜひ立ち寄ってみてくださいね。

住所:ul.Piłsudskiego 56 Wrocław

ライター・Photo:Kazumi



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