シルクロードを気ままに旅して触れ合った中央アジア・タジキスタンの人びと

今回はシルクロードを旅した時の触れ合いについて語っていきます。シルクロードの沿線にある中央アジアはいまだ伝統的な生活もところどころに残っています。日本人にはまだまだ馴染みのないこともありますが、ぜひ行ってみてください。

こんにちは。Compathy Magazineライター、阿佐智です。
中央アジアとは、旧ソ連のキルギス、カザフスタン、ウズベキスタン、タジキスタン、トルクメニスタンの5か国を指します。いわゆるシルクロードの沿線にあり、いまだ伝統的な生活もところどころに残っています。

その一方で、多くの都市の街並みは、それ時代の無機質なビルが並ぶものとなっており、そのギャップもまたこの地域の特徴と言えます。日本人にはまだまだ馴染みのないこともあって、多くの旅行者は旧国営ホテルや高級ホテルと歴史遺産中心の観光地を往復するだけのことが多いのが現状。しかし気ままな旅だと現地の人との触れ合いも多いです。今回は、シルクロードを旅した時の、そんな触れ合いについて語っていきます。

決して心地よくはない乗合自動車の旅

女の子

夕暮れの町を歩く女の子

ウズベキスタンから国境を越え、タジキスタンの首都、ドゥシャンベに到着したのは、もう夕方近くのことでした。身振り手振りと単語を並べ立て、なんとか遺跡の町、パンジャケントへ向かう乗合の車の乗り場に到着、なんとか最終の便に間に合いました。

この国の南北の移動は結構時間がかかります。さして広くもない国土の東西を幾重もの山脈が走っているからです。出発後、車はさっそく谷あいの川沿いの坂を登ってゆきました。町の郊外には温泉保養地があるようで、湯けむりに囲まれたコテージが渓流沿いにならんでいました。谷あいの日は短く、この頃には太陽はすでに姿を隠していました。

あとは闇の中、でこぼこ道をひたすら進むのみです。途中、アイニーという小さな町があるくらいで、あとはほとんど無人の荒野を車は進んでいきます。上り坂が下りになったことで、行程の半分ほどが過ぎたことがわかるくらいで、心地悪い揺れにただひたすら「早く着いてくれ」と祈るばかりです。うっかりうとうとしてしまうと、揺れで車のボディに頭を打ち付けてしまうので、それもできません。

そんな中、車は途中で停まることもあります。沿道に屋台が立っていると、乗客の中に車を停めて、買い物をする人が出てくるのです。屋台にはラグビーボールのような縦長のスイカやメロンが並んでいます。彼らのメロンに対するこだわりにはすごいものがあり、ひとつ手に取ると、こぶしでノックしたりして中身を吟味します。おまけに気に入ったものがないと、なにも買わずに再び車を走らせ、別の屋台を見つけると、また車を停めます。

おかげで、ということもないのでしょうが、パンジャケント到着は日付が変わる頃になっていました。車は乗客の求めに応じて市内のあちらこちらに停車し、客を降ろしていきます。最後まで残り、どこでもいいからホテルに案内してくれという私に、運転手は、「もう遅いからウチに泊まっていけ」と、アパートが立ち並ぶ住宅街に車を走らせました。

現地の人びととの生のふれあい

家族

パンジャケントで出会った家族


ここでは夏の日中は40度を越えるのが当たり前で、人々はこの間活動をしません。日が暮れると大人も子供も動き始めます。この夜も、アパート前では子供たちが遊びに興じていました。運転手が車から出ると、闇の中からその彼の大きなおなかに、突進してくる影がありました。かわいらしい女の子が、高い声を出しながら抱き着いてきたのです。その女の子を抱きかかえ、彼は私をアパートへ案内しました。

奥さんに、親夫婦、そして4人の子どもを抱える彼はアパートの2部屋を借りてしました。運転手は、この町とドゥシャンベの間を車で往復することによってこの家族を養っているのです。

案内された部屋では家族全員が大黒柱の帰りを待っていました。突然の珍客にも嫌な顔ひとつせず迎えてくれます。中央アジアでは夕食時にはとにもかくにもメロンかスイカが出てきます。まずこれで乾いたのどを癒し、それからパン、羊肉などの定番のメニューが並んできます。大皿に盛られた料理は切り分け、あとは、手で食べます。

食事中、先ほどの女の子が部屋に入ってきて走り回り出しました。とにかく運転手になついているので、「かわいい娘さんだね」と言うと、「こいつは隣の子だ」と意外な返事。気が付けば、5,6人の子どもが部屋に入ってきてはしゃいでいます。その子どもひとりひとりに、運転手はおもちゃを渡していました。隣近所は皆家族同様という懐かしい風景がそこにはありました。

遺跡よりも貴重な体験

子ども

用水路に飛び込む子供


翌朝起きると、パンと紅茶という簡単な朝食が出され、いよいよ出発です。この日は休みという運転手は、それでも、私に「今日はどこに行くんだ」と尋ね、ならば最初は町の中心の博物館だと、車で送ってやると言います。歩いても大した距離ではないので遠慮しても、聞いてくれません。小学校高学年とおぼしき長男金君に何やら指示すると、その少年は、車のキーをもって私を案内してくれました。

車に荷物を載せ、助手席に着くと、なんとその長男君が運転席に座ります。彼がエンジンをンかけても、私は、そこまでが彼の「お手伝い」だと疑いませんでしたが、結局、父親である運転手が現れることはありませんでした。彼のハンドルさばきにより車が動き出すと、もう笑うしかありません。降り際に「よく運転するのかい」と聞くと、彼は笑いながら首を縦に振りました。ひと仕事終えた彼の手にはタバコがありました。

遺跡見学後、遺跡の丘のふもとにある用水路のほとりで休憩しました。日本ではおそらく立ち入り禁止になるだろう流れの速い用水路で、大勢の子どもたちが遊んでいました。満面の笑みで急流に飛び込む彼らの姿を見て、ほんとうにのびのびと育っているんだなと思いました。日本と比べてどちらがいいというのではないのですが、中央アジアのひとびとと直に触れ合えば触れ合うほど、うらやましさが増していったのは事実です。

ライター:阿佐智

阿佐智

阿佐智

188か国を渡り歩いた放浪人。残りは非承認国家含めて11か国。かなり入国困難なところが残っているのが悩み。



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