4497名の日本兵が眠るフィリピン・コレヒドール島で見た戦争の爪痕

フィリピン・マニラのコレヒドール島では、第二次世界大戦中に日本軍と米比軍が衝突し、現在も当時の砲台の跡や爆撃によって廃墟と化した建物が保存されています。全長6kmのこの小さな島で、4497名もの日本兵が命を落としたのです。

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こんにちは!Compathy Magazineライターの冒険女子アオノトモカです。

みなさんは、フィリピンのコレヒドール島という場所をご存知ですか? マニラ湾沖に浮かぶこの島では、第二次世界大戦中に日本軍と米比軍が衝突し、現在も当時の砲台の跡や爆撃によって廃墟と化した建物が保存されています。全長6kmのこの小さな島で、4497名もの日本兵が命を落としたことを、どれくらいの日本人が知っているでしょうか?

第二次世界大戦激戦地・コレヒドール島

コレヒドール島は、マニラ湾から攻め入る敵から首都マニラを守る砦として、長い間重要な軍事拠点として機能していました。米西戦争後、コレヒドール島は米軍により軍事要塞として開発され、兵舎や病院はもちろん、プールやゴルフコース、映画館まで兼ね備えたまさに「ソルジャーズ・パラダイス」と呼べる土地でした。しかし、これらの建物は第二次世界大戦中に日本軍により爆撃され、廃墟と化してしまいました。その廃墟は今も残っており、爆撃で破壊された町は戦争の記憶を生々しく現在に伝えています。

激しい戦いの記憶が残る島

1941年に日本軍がフィリピンに攻め入ると、重要な軍事拠点であったコレヒドール島は激しい攻撃を受け、1942年に日本軍の支配下に置かれました。全長6kmの小さな島に6万発もの爆撃が撃ち込まれ、島のほとんどの植物は枯れ果ててしまったと言います。1945年にコレヒドール島奪還戦が始まると、日本軍は島に多くのトンネルを掘り、ゲリラ戦となりました。そのトンネル跡も現在まで保存されています。そして、1945年2月に米比軍がコレヒドール島を奪還した際には、4497名の日本兵が死亡、生き残ったのはたったの42名でした。

平和と国際理解の島

コレヒドールは、”Island of Peace and International Understanding”(平和と国際理解の島)と呼ばれています。たった70年前に、日本人とアメリカ人とフィリピン人が殺し合った島。その歴史を受け止めて、「赦す」ことは特に侵略を受けた側のフィリピンの人々にとって、簡単なことではないはずです。しかし、コレヒドール島の歴史ウォーキングツアーのフィリピン人ガイドは笑顔で言いました。「フィリピンは、スペイン、アメリカ、そして日本に侵略されてきた。でも、恨みはない。僕たちフィリピン人は、とても寛容な国民だからね」。

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Tomoka Aono

Tomoka Aono

青年海外協力隊現役隊員として、フィリピンの田舎町で断水と停電に耐えながら日々たくましく生きてます。趣味は冒険と寺修行。モットーは「今を生きる」。最近の悩みは日焼けでフィリピン人より黒くなってしまったことです。



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