就活失敗から旅に出た世界的写真家ハービー・山口の人生とは

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写真が好きな人にとっては神様的存在。彼の名前は知らなくても、70年代80年代のイギリスでのパンクロックやニュー・ウェーヴ、そこから現代に至るまでの、BOOWY・桑田佳祐・福山雅治、その他多くの誰もが知っている日本のミュージシャンの一瞬を切り取り続けてきた写真家ハービー・山口さんの写真をきっと一度は目にしたことがあるはず。ハービーさんが世界的に有名な写真家になった背景には、就職で失敗し、旅に出たことが大きなきっかけとしてありました。それがその後の人生を大きく変えたのです。

-大学卒業後にロンドンに行かれたそうですが、そのきっかけは?
決してそんなにいい大学だったわけじゃないのですが「このまま就職していいのかな?」と思いつつ、採用試験を何社か受けたら全部落ちてしまったんですね…。それで「海外に行って朝から晩まで写真を撮って、半年ぐらい修業して帰ってきてから写真展でも開けば就職できるんじゃないかな? もし就職できなくてもフリーランスとしてやっていけるんじゃないだろうか?」そんな甘い考えで海外に行ったんです。採用試験に受からなかったときは失望しましたが、実は更なる大きな成功の門出だったと自分では思っています。どこかの小さな事務所とか、写真家の助手とか…、他にも選択肢はあったと思いますが、僕はロンドンに行って予想もしていなかった人々や出来事、価値観、日本では考えられないような経験をしました。旅に出ていなかったら、今の僕は全く無かったと思っています。
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ー行き先の候補は他にあったのでしょうか?
元々は音楽が好きだったんです。当時はプログレスロックという、バンドの名前で言えばピンクフロイドとかクリムゾンとか、メロディアスできれいなものが好きでしたから、ビートルズやプログレが生まれた前衛的なロンドンに興味がありました。ファッションに興味があれば、パリに行き、アーティストとかそういったものに興味があればニューヨークに行く、その時代は、ニューヨークに行った人のほうが多かったですね。

ー今でこそインターネットを使えば海外の情報は簡単に手に入りますが、当時の手に入る情報ってどのようなものだったんでしょうか?
「地球の歩き方」なんて無くて僅かな情報しかなかったです。それも「イギリスの通貨はポンドという通貨です」とか、あとは簡単な地図ぐらいで、当時はどこのレストランに行けばおいしいものが食べれるとか、そんな情報は今と違って全く無かったですね。心細かったですが、半年だけのつもりだったので、なんとでもなるだろうと思っていました。

ー半年の予定で行かれたロンドンの滞在が延びた理由はなんですか?
日本の場合は価値観として、大学卒業したら大きな企業に勤めて、終身雇用で安定した収入を得るというのが、その当時に誰もが考えていたことで、それを踏み外すとドロップアウトしたようなアウトローだったんです。だけど、ロンドンに行ったら「写真家になりたいなんて、いい夢を持っていますね!」って言ってくれて、就職できなかった僕にロンドンの人や国が加勢してくれたように感じたんです。そこで初めて「社会のレールの上に乗らないとヤバいわけじゃない。どんなレールでもあるじゃないか」ということに気付くことができたんです。

ーロンドンでのアーティストとしての生活はどのようなものでしたか?
半年と決めていたロンドン生活でしたが、一秒でも長くいたくなり、滞在を延ばすことにしました。しかし、当時は1ポンド700円もしていた時代だったので、お金を稼がないとビザを延ばせないということになり、たまたま日本人の劇団が現地採用で役者を探していたのでオーディションを受けて役者になりました。そのまま100回ぐらい出演したところで、そろそろ写真に戻らないと本来の目的からそれてしまうなと…。そう思って劇団を辞めたら、偶然イギリスの若手写真家が10人ぐらい、当時24,25歳の同じぐらいの年齢の人たちが倉庫に住んでいて、そのグループに写真を見せたら気に入ってくれたんです。そして、ここで寝泊まりしてもいいし、フィルムも印画紙もスポンサーになるから自由に使っていいという、夢のようなシチュエーションを僕に与えてくれました。当時、ろくに英語も話せない僕に「こうゆう写真撮ってるんだ! いいね、我々と同じ路線だよ。君、一緒にやろうよ」って言ってくれたことがすごく嬉しかったです。例えば今、もし日本にカメラを持った別の国の人がいたとしても「君、今日からここに住んで好きなだけ写真撮っていいよ」なんて、普通そんなこと言わないですよね。

ー劇団を辞めるのは惜しくなかったのですか?
僕みたいな大根役者が、将来役者として生活していける程甘い世界じゃないことは分かっていました。とはいえ、劇団に所属していたら微々たるものではありましたが、お給料ももらえていたのはとても有り難かったです。しかし、どうしても日本人同士が固まってしまう状況だったので、日本と同じような環境を作ってしまうことも避けたいと思うようになり、旅先でまた次の旅に出るみたいに、パッと劇団を辞めました。受け入れ先が偶然あったのもよかったです。ビザだって自分では簡単に延ばせませんからね。運にも左右されますけど「自分は写真家になりたいんだ!」って思いで、パッと辞めたのがよかったと思っています。確固たるものが自分の中にブレずにあったのが大きいですね。

ー情報が溢れている今、全て予測できてしまって海外に魅力を感じない、という意見もありますが、楽しむ方法はありますか?
例えば、僕は当時、お金が無かったから特急券は買えなかったんですよ。お金のある人は直行で早く行けるのに、僕は各駅停車やバスかなんかで旅しているようなもので、その代わり、普段は絶対に降りそうもないような駅で降りて、ラーメン屋に行ってみたり、途中で2、3泊したり、場合によっては急遽、途中でバイトしてお金を稼ぐ必要が出てきてしまいます。各駅停車だと、その分とても時間がかかるけど、予定に無かったこと、僕自身で言えば、ボーイ・ジョージと生活したことや、写真家グループに入れたということが起こった。当然、予測なんかこれっぽちもしていませんでした。

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Eika Akasaki

Eika Akasaki

トラベルフォトライター。 世界中をカメラとMacを持って飛び回る。 宗教や文化、各国の女性やファッションに興味をもち追い続けており、著名人へのインタビュー記事も多く扱う。ウエブサイト:Eika Akasaki Photographer



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