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Viterbo

Viterbo(ラツィオ, イタリア)の口コミ情報と旅行記、Viterboまでの行き方や地図をまとめています。Viterboの他にもラツィオ、 イタリアのおすすめスポットを紹介しており、みんなの口コミから自分だけの旅行プランを立てることが可能です。

Viterbo(ラツィオ, イタリア)|イタリア・トスカーナ地方と周辺の田舎巡りの旅(Yuichi Kudoさん) - 02
Yuichi Kudo

次に向かったのはローマから70キロ、ラツィオ州の北部に位置するヴィテルボです。 この街の歴史は紀元前にさかのぼりますが、何よりも有名なのは、中世の時代には多くの教皇がローマを離れてこの町に移り、『教皇の町』として著しい発展を遂げたことです。 この街も中世以来の街並みが素晴らしいと聞いています。 散策が楽しみです。

『 イタリア・トスカーナ地方と周辺の田舎巡りの旅 』より Viterbo, ラツィオ

Viterbo(ラツィオ, イタリア)|イタリア・トスカーナ地方と周辺の田舎巡りの旅(Yuichi Kudoさん) - 05
Yuichi Kudo

これは町の西端にあるバスターミナルから教皇の宮殿を写真に収めたものです。 教皇の宮殿は、教皇の町・ヴィテルボの美しさの象徴となっております。 宮殿内の優美なゴシック様式の回廊から町も展望できるんですよ。 枢機卿による教皇選出会議「コンクラーベ」という言葉は、実はこの宮殿での出来事が語源になっているとのこと。

『 イタリア・トスカーナ地方と周辺の田舎巡りの旅 』より Viterbo, ラツィオ, ラツィオ

Viterbo(ラツィオ, イタリア)|イタリア・トスカーナ地方と周辺の田舎巡りの旅(Yuichi Kudoさん) - 06
Yuichi Kudo

ヴィテルボのサン・ペッレグリーノ地区には、今なお中世の趣が、至るところに残っています。 進行方向の道の左手の壁には、Via S. Pellegrinoと、通りの名前が書かれています。 通りの下に伸びるこうした何気ない路地にも、何とも言えない風情があります。 この日はのんびりとヴィテルボを散策し1泊。

『 イタリア・トスカーナ地方と周辺の田舎巡りの旅 』より Viterbo, ラツィオ, ラツィオ, ラツィオ

Viterbo(ラツィオ, イタリア)|イタリア・トスカーナ地方と周辺の田舎巡りの旅(Yuichi Kudoさん)
Yuichi Kudo

美しい鐘楼のあるヴィテルボの大聖堂です。 この聖堂の隣、写真の正面に見えるのがコンクラーベが行われたロッジアです。 眺めはいいですが屋根もなくなっていて生活するには辛いですね。 向いには教皇の住居があります。まさに教皇の町ですね。

『 イタリア・トスカーナ地方と周辺の田舎巡りの旅 』より Viterbo, ラツィオ, ラツィオ, ラツィオ, ラツィオ

Viterbo(ラツィオ, イタリア)|イタリア・トスカーナ地方と周辺の田舎巡りの旅(Yuichi Kudoさん) - 03
Yuichi Kudo

ここがコンクラーベ発祥のロッジア。 コンクラートとはラテン語に由来していて「鍵のかかった」という意味です。 そしてこの言葉が生まれたのが1268年のヴィテルボです。 当時の教皇クレメンス4世がヴィテルボで没しました。 新教皇選出の有権者は18人でしたが、意見が分かれ3年間教皇不在の期間が続きます。 何ヶ月も新しい教皇が決まらないのは、枢機卿たちが自由に出歩き、外部の人びとと接触しているのが原因と考えたヴィテルボの住人は怒りを爆発させます。 そして選挙会場である司教館に枢機卿たちを鍵を掛けて閉じ込めたのです。 外部との接触を絶たせ、食料もパンと水だけを差し入れ、さらには食事量も減らしていったそうです。 そしてついに1271年9月、6人の枢機卿の妥協によって、イタリア人の教皇グレゴリオ10世が選ばれたのです。

『 イタリア・トスカーナ地方と周辺の田舎巡りの旅 』より Viterbo, ラツィオ, ラツィオ, ラツィオ, ラツィオ, ラツィオ

Viterbo(ラツィオ, イタリア)|イタリア・トスカーナ地方と周辺の田舎巡りの旅(Yuichi Kudoさん) - 04
Yuichi Kudo

美しい街角や建造物が素晴らしく街が立体的にできているため散策に飽きることがありません。 気が付けば2時間くらいは歩いていました。 古いながらもおしゃれなお店、カフェにふらふら入りながら散策を楽しんでいたのです。 素敵な街です。

『 イタリア・トスカーナ地方と周辺の田舎巡りの旅 』より Viterbo, ラツィオ, ラツィオ, ラツィオ, ラツィオ, ラツィオ, ラツィオ

  • 散策

  • エピソード・口コミ(6)

    2012.07.05 に訪問

    次に向かったのはローマから70キロ、ラツィオ州の北部に位置するヴィテルボです。 この街の歴史は紀元前にさかのぼりますが、何よりも有名なのは、中世の時代には多くの教皇がローマを離れてこの町に移り、『教皇の町』として著しい発展を遂げたことです。 この街も中世以来の街並みが素晴らしいと聞いています。 散策が楽しみです。

    最終更新:2017.06.26 09:25
    旅行記 『イタリア・トスカーナ地方と周辺の田舎巡りの旅』 より
    2012.07.05 に訪問

    これは町の西端にあるバスターミナルから教皇の宮殿を写真に収めたものです。 教皇の宮殿は、教皇の町・ヴィテルボの美しさの象徴となっております。 宮殿内の優美なゴシック様式の回廊から町も展望できるんですよ。 枢機卿による教皇選出会議「コンクラーベ」という言葉は、実はこの宮殿での出来事が語源になっているとのこと。

    最終更新:2017.06.26 09:25
    旅行記 『イタリア・トスカーナ地方と周辺の田舎巡りの旅』 より
    2012.07.05 に訪問

    ヴィテルボのサン・ペッレグリーノ地区には、今なお中世の趣が、至るところに残っています。 進行方向の道の左手の壁には、Via S. Pellegrinoと、通りの名前が書かれています。 通りの下に伸びるこうした何気ない路地にも、何とも言えない風情があります。 この日はのんびりとヴィテルボを散策し1泊。

    最終更新:2017.06.26 09:25
    旅行記 『イタリア・トスカーナ地方と周辺の田舎巡りの旅』 より
    2012.07.05 に訪問

    美しい鐘楼のあるヴィテルボの大聖堂です。 この聖堂の隣、写真の正面に見えるのがコンクラーベが行われたロッジアです。 眺めはいいですが屋根もなくなっていて生活するには辛いですね。 向いには教皇の住居があります。まさに教皇の町ですね。

    最終更新:2017.06.26 09:25
    旅行記 『イタリア・トスカーナ地方と周辺の田舎巡りの旅』 より
    2012.07.05 に訪問

    ここがコンクラーベ発祥のロッジア。 コンクラートとはラテン語に由来していて「鍵のかかった」という意味です。 そしてこの言葉が生まれたのが1268年のヴィテルボです。 当時の教皇クレメンス4世がヴィテルボで没しました。 新教皇選出の有権者は18人でしたが、意見が分かれ3年間教皇不在の期間が続きます。 何ヶ月も新しい教皇が決まらないのは、枢機卿たちが自由に出歩き、外部の人びとと接触しているのが原因と考えたヴィテルボの住人は怒りを爆発させます。 そして選挙会場である司教館に枢機卿たちを鍵を掛けて閉じ込めたのです。 外部との接触を絶たせ、食料もパンと水だけを差し入れ、さらには食事量も減らしていったそうです。 そしてついに1271年9月、6人の枢機卿の妥協によって、イタリア人の教皇グレゴリオ10世が選ばれたのです。

    最終更新:2017.06.26 09:25
    旅行記 『イタリア・トスカーナ地方と周辺の田舎巡りの旅』 より
    2012.07.05 に訪問

    美しい街角や建造物が素晴らしく街が立体的にできているため散策に飽きることがありません。 気が付けば2時間くらいは歩いていました。 古いながらもおしゃれなお店、カフェにふらふら入りながら散策を楽しんでいたのです。 素敵な街です。

    最終更新:2017.06.26 09:25
    旅行記 『イタリア・トスカーナ地方と周辺の田舎巡りの旅』 より
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